命について思うこと

グループホーム こ・こ

グループこ・こ(Co・Co)の江島と申します。医療・介護に従事する私たちは、現場で人の命の終わりにふれることがあります。今日は、そのことについて私の知人のお話をさせていただきたいと思います。

令和4年1月13日に、友人の同僚が33歳という若さでその生涯を終えました。

人一倍仕事を頑張る彼のことを、友人は愛称で はなちゃん と呼んでとても可愛がり、「最近はなちゃんどう?」というのが、友人と私の合言葉のようになっていました。
というのも、5年ほど前、友人と外食をしていたところ、偶然はなちゃんに出くわし、初対面の私に、友人のことを「いつもお世話になってます。自分のいちばん尊敬する人なんです!」と声をかけてくれました。

その目はとてもキラキラしていて、イケメンで好青年で、、、私はひとめではなちゃんのファンになってしまい、何と言っていいかわからず、「あ、お世話してます。。」とアホなことを言ってしまう始末で。。それからたびたび彼のことを話題にするようになっていきました。

そんななか、3年前、はなちゃんに脳腫瘍が見つかり、手術、入院、仕事復帰を繰り返し、頑張り屋の彼はぎりぎりまで大好きな仕事を続け、昨年の暮れ、限界がきて入院しました。
奥様より「あと1か月と主治医の先生から言われました。顔を見に来てやってください。」と連絡を受け、友人は1時間ほどの面会が叶い、話はたくさんできたけど、涙をこらえるのに必死だった。と電話で話してくれました。
脳幹部の腫瘍で、手術では取れないとのことでした。
入院してから3週間ほどで、はなちゃんは3人のお子さんたちと奥様を残して逝ってしまいました。

彼は、危険を顧みず市民の生活を守るために尽力する警察官、奥様は同じ医療従事者です。
最期の日、奥様から連絡を受け友人が仕事の現場から病室に駆け付けた時はなちゃんの体はまだ暖かく、奥様から「最後はスーツで送ってあげたいのですが、ネクタイをしきれなくて。。しめてやってもらえませんか?」と言われたと。
はなちゃんはとても綺麗な顔をしていて、うっすらとまだあいている目は、このまま子供たちや妻を残して逝けないです。。。
と言っているようだったと、友人は涙ながらに電話で話してくれました。

はなちゃんの気持ちを思うと胸がつまり、たまらない気持ちになります。
勝手にファンになっていた友人の同僚に対し、はなちゃんの分まで生きなければ、、はなちゃんの死を無駄にしたくないなどと私が思うのはおこがましいですし、何ができるのだろうと考えてもなかなか答えが見つかりませんが、自分が今こうして生きていられることに感謝し、楽しいことを楽しいと感じてすごし、家族をはじめともに仕事をする仲間に感謝し、与えられた仕事に日々邁進し少しでも誰かの役に立つことなのかなと思います。

このコロナ禍において、医療・介護従事者にとっては大変な毎日が続いています。
皆様も何かに悩むことがあられるかと思います。
そんなときに、志半ば、生きたくても生きられなかった立派な青年がいたということを思い起こしていただければと思い、友人の許可を得てブログに書かせていただきました。

はなちゃんの告別式の日 彼がのぼっていったであろう日の空は、
雲がおだやかに波打つようでとても綺麗でした。

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